富桑地区公民館
公民館は、1946年(昭和21年)社会教育法が公布され、「市町村その他一定区域内の住民のために実際生活に即する教育、学術及び文化に関する各種の事業を行い、以って住民の教養の向上、健康の増進、情操の純化を図り、生活文化の振興、福祉の増進に寄与すること」を目的としています。
富桑地区公民館は、1962年(昭和37年)に富桑小学校内に設置され、1970年(昭和45年)から中央公民館の分館となりました。
その後、1979年(昭和54年)に現在地(旧県工業試験場跡の富桑会館)へ移転し、1992年(平成4年)に「富桑地区公民館」として独立し、1994年(平成6年)に同地に新築して現在に至ります。
鳥取市西人権福祉センター
人権福祉センターは社会福祉法に基づく施設で、「地域社会全体の中で福祉の向上や人権啓発の住民交流の拠点となる開かれたコミュニティーセンターとして、生活上の各種相談事業や人権課題の解決のための各種事業, 各種福祉の支援事業を統合的に行い、地域福祉の拠点として活動すること」を目的としています。
戦前からセツルメント事業として、貧困問題や社会地域課題の解決のための活動。
1953年(昭和28年) | 国が隣保館を設置する経費の補助金を計上 |
1958年(昭和33年) | 総合的社会福祉施設として、社会福祉事業法の第2種福祉事業として規定 |
1969年(昭和44年) | 同和対策事業特別措置法制定、特別対策として運営 |
1997年(平成9年) | 地域改善対策協議会「意見具申」と「閣議決定」を受けて一般施策へ移行 |
2000年(平成12年) | 社会福祉法で、地域福祉の推進が今後の重要な課題とされる |
2002年(平成14年) | 人権教育・啓発推進法に基づく「基本計画」に隣保館の役割を規定 |
2009年(平成21年) | 鳥取市隣保館条例の一部改正により、名称が「隣保館」から「人権福祉センター」に改める |
西品治児童館
児童館は、児童福祉法第40条による児童福祉施設です。地域の子どもたちに健全なあそびをとおして、「子どもの生活と能力の発達を援助していく拠点施設」です。
1965年(昭和40年)の「同和対策審議会答申」では、同和地区に関する社会的及び経済的諸問題を解決するために、教育文化の向上・社会福祉の充実・基本的人権の擁護等を目的にする方策が挙げられました。
それをふまえ、同和地区児童の学力保障や進路保障などを目的として、1977年(昭和52年)に地域児童・生徒に健全な遊びを与え、その健康を増進し、また部落差別のひずみによる文化的・教育的遅れを克服する場として建てられました。
現在では、富桑地区全体の子どもたちの交流の場・憩いの場、子育て支援の拠点としての児童館を運営し、2005年(平成17年)に建物の老朽化に伴い、富桑地区全体での署名活動を展開し、2008年(平成20年)12月に現在の児童館が完成、2010年(平成22年)3月には児童遊園も整備されました。
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富桑体育館
富桑体育館には併設して、相撲場が建てられています。西品治には、明治、大正の時代に豪傑ぞろいの力士がたくさんいました。小学校では特色ある学校づくりの一環として1991年(平成3年)に校内相撲大会を復活させ、地域の方々の思いは、西中、城北高校へとつながっています。
富桑保育園
昭和9年(1934)3月 | 常設保育所として小学校舎一部に開設 (富桑愛育園) |
昭和18年(1943)9月 | 鳥取大震災のため全壊 震災保育所を開設 |
昭和22年(1947)7月 | 鳥取市に経営移管され、富桑保育所に改名 |
昭和23年(1948)8月 | 児童福祉法により認可 |
昭和24年(1949)11月 | 園長が専任となる |
昭和26年(1951)8月 | 園舎が新設(木造平屋建)定員90名 鳥取市西品治134 |
昭和48年(1973)1月 | 同和対策として保母1名配置 |
昭和54年(1979)1月 | 同和対策として園舎新改築(鉄骨2階建) 定員130名 鳥取市行徳3丁目705−1 |
昭和54年(1979)10月 | 同和保育加配保母2名配置 |
昭和57年(1982)4月 | 園庭拡張(富桑会館広場)定員120名 |
昭和60年(1985)3月 | 創立50周年記念ポプラ2本植樹 |
昭和63年(1988)4月 | 土曜午後保育開始 |
平成2年(1990)3月 | 円形砂場設置 |
平成3年(1991)10月 | 園庭に森をつくる運動開始 |
平成12年(2000)3月 | 園舎大規模改修 |
園舎が新設 |
富桑小学校
明治22年(1889)に、市町村制が実施され、富桑村の誕生に伴い、明治23年(1890)8月1日、富桑村立富桑小学校を玄中寺内に設置。
明治25年(1892)10月22日、富桑小学校区西品治村と日新小学校区行徳村の編成で現在地(西品治新白)に富桑小学校が新しく建設されました。
明治37年(1940)2月に高等科を併設。4月から富桑尋常高等小学校との改称を経て、大正12年(1923)5月、富桑村は鳥取市と合併、富桑村立富桑尋常高等小学校は、鳥取市立富桑尋常高等小学校となりました。
昭和16年(1941)には、名称を富桑国民学校、昭和22年(1947)から鳥取市立富桑小学校に改新されました。
昭和24年(1949)、南行徳・古市2区・行徳4区が新設の明徳小学校になりました。
昭和38年(1963)、校区編成により、松並町・田島地区が城北小学校になりました。
昭和45年(1970)、創立80周年、平成2年(1990)、創立100周年、令和2年(2020)、創立130周年記念式典を挙行されました。
鳥取西デイサービスセンター
鳥取市老人福祉計画で中学校区に1カ所ずつ、介護福祉の拠点としてデイサービスセンターを設置し、市民の身近にある介護福祉の窓口と「なれるようにと計画されました。
鳥取市西デイサービスセンターは、平成8年(1996)10月にヘルパーステーション、在宅介護支援センターを併設して開設されました。
開設当初から職員は早く地域に馴染もうと地区公民館、西人権福祉センター等の事業に参加し、出前のデイサービスとして地域に出かけたり、サテライトデイサービスを実施し、身近な西デイサービスセンターとして親しまれています。